荒川の水切り遊び - トピック返信
26. 本来の自分
【返信元】 25. 憧れの子役タレント
2014年08月20日 07:40
 思いがけなくテレビに出るようになりましたが、初めの頃はカメラの前で緊張し、タレントさんの鋭いツッコミにもどう返していいのかわかりません。場の雰囲気も読めず、適切な返しができません。かなり凹んで帰ってきました。その時のスタッフになぜか1年ほど電話やメールなどを通じ、色々な事を教えてもらい、励まされました。
 テレビ出演で楽しいのは、若い才能に触れることができることです。編集作業などを通じ、番組が水切りに何を求めているのか見当がつきます。視聴者を楽しませるための編集は、水切り遊びで何ができ、何ができないかも教えてくれます。背伸びをしてもどうしようもないと知りました。ただ無邪気に遊んでいるのが良いようです。
 番組製作はきつい仕事です。朝の早くからやってきて暗くなるまで全力で働きます。必要なら靴やズボンが濡れても川に入ります。2月の荒川に撮影のためなら裸で入ります。徹夜で編集作業をし、朝の8時には熊谷に来ます。放送に写らない影の努力を知ると、こちらも自然に真剣になります。早めに収録を終え、スタッフと水切り遊びをするのが楽しみです。水切り遊びに本気で向き合う人は少なく、番組スタッフは貴重な遊び相手です。収録が終わると、ほとんどのスタッフは水切り遊びを始めます。カメラさんは重いカメラを担いでいるので体力があり、機敏で水切りが上手です。スタッフを水切り上手にするのは楽しい事です。こうして石と水を見ると水切り遊びをしたくなる水切り族が増え、どこかの水辺に小さな平和が生まれます。 
 テレビ番組の出演は50回を超えました。凄い技でもないのに、これほど続くのは不思議なことです。熊谷水きり倶楽部の誰もがこれを予測することはできませんでした。バブル経済全盛の頃なら水切り遊びが取り上げられることはなかったでしょう。経済や資源にも先が見え、環境問題にも明るい兆しは見えません。そんな閉息感のある時代です。ただそこにあるものだけを利用した素朴な遊びが人の心を和ませるということがあるのかも知れません。
 資本主義、自由経済の社会はのんびり暮すことを良しとしません。子ども時代から生き残りをかけた厳しい競争社会を教わり、社会を知るほどに恐怖心すら持ちながら育ちます。そこに何の役にも立たない水切り遊びを楽しむ熊谷水きり倶楽部というサークルがあることに何らかの意味を感じるということがあるのかも知れません。
 自分にないものを手に入れる努力を続けることは良いこととされています。誰もが自分の能力を高める努力を求められます。社会は勝利の喜び、向上、進歩を教えます。教育の本来の目的は何でしょう?。今や、変わらない日々を平和に生きる知恵や、敗者の生き方を教えることはタブーなのかも知れません。嫉妬や野心を持たず、贅沢を慎み、手に職を持ち、世間に迷惑をかけなければそれで良いという時代もあったのです。今やそのような態度は自ら学ぶしかないのかも知れません。そんな時代ですから、すでにある良いものを見つけるのは遅れ気味です。水に投げ入れた石が起こす水切りというありふれた現象ですが、それを楽しめることは、とてもラッキーなことだと感じます。人の行動の動機は、恐怖、欲望、愛、そして遊びだと思います。
 本来の自分とは何でしょうか?。私たちは色々な立場があります。親だったり。子だったり、あるときは先生でも、別のことでは生徒だったり、また、生き物だったり、物質だったり、それら全てが自分自身というほかありませんが、人も大きな関係性の中に存在します。田んぼの米も食べれば身になりますから、自分自身でもあります。
 究極の共感とは、あるがままの自分自身が、全てとつながっているという実感かも知れません。大きな宇宙の小さな波紋に、それを感じると言ったら笑いますか?。続く…

書き込みツリー表示
1. 水切り遊びのまとめ - 14/07/27 12:10 (おじちゃん) 映画