荒川の水切り遊び - トピック返信
32. 水切り遊びの今後
【返信元】 31. 遊びと自然体験
2014年08月26日 07:21
 あらゆるスポーツが競技になっているのは闘争本能に考慮した結果でしょう。ルールを定めることにより、社会的に許された差別化の制度とも言えます。自らの優秀性を発揮した感覚は、つかの間の幸福感をもたらします。ただ、日本古来のスポーツには道という哲学があります。自らを苦しめる心身をコントロールする修行という考え方です。
 水きり遊びは、人類が二本足で歩行するようになって始まった太古からの遊びではないかと想像します。多くの遊びは体系化され、スポーツとして、また、文化として現代に続いています。なぜ、水きりはそうならなかったのでしょうか?。
 近年のスポーツは勝負にこだわり、参加することに意義があると言われたオリンピックさえ経済活動の側面が目立ちます。スポーツマンシップも語られることは少なくなりました。ドーピングはスポーツの良き伝統が経済の力に破壊された証拠かも知れません。
 水きり遊びは、水辺の暇つぶしというイメージがあるように感じます。練習すればだれでも上手になれます。特別の才能も体力も必要ありません。基本的にジャンプの数が数えられないということもスポーツ化しにくい原因です。この遊びは競技性を少なくした方が良いのかも知れません。無邪気な遊びとして残ってきた水切りですが、爽快感、コミニュケーションの機会増大、ゲーム性などは、既存のスポーツにも負けません。
 熊谷水きり倶楽部はお手本を見せるだけで良いのです。子どもたちの見習う能力は凄いです。ただ見せるだけで、真似し、すぐに上達します。少しずつジャンプの回数が増える喜びもあります。上手にならなくても問題がないのも良いところです。
 遊んでいる中には様々な発見や、出会いがあります。コツを教えたり教えられたりしながら自然の不思議を共感することもできます。単純な遊びだからこそ、素朴な共感が生まれます。全ての価値は人が考え、見つけたものです。このまま遊びとしての価値を探し、楽しい水切り遊びを少しでも発信したいと思います。
 私達は偶然性を楽しみます。水切り遊びにはいつでも小さな奇跡が起こる希望があります。それは自然が味方をしてくれる水切り日和に起こります。それが見たくて私達は時代を超えて石を投げ続けるでしょう。
 何の道具も使わず、だだそこにあるものだけを使った水きり遊び。自然と人、すべてが調和したような美しい波紋も、やがて静かに消えてゆきます。流れはいつものように夕日を写してゆったりと流れます。この小さな自然のドラマは、私達に何ができ、何ができないかを象徴しています。そして、奇跡的に美しい波紋は、自分が世界に受け入れられているという証しだとは思えないでしょうか?。美しい波紋ができると自らの心の中に小さな拍手が起こります。人は石を投げるだけでも楽しむことができるのです。続く…

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