介護の輪 - トピック返信
介護を振り返って
【返信元】 介護の理想
2015年01月16日 14:58
人生には様々なことが起こります。思いもしなかった介護が、いきなり現実となることも
あります。私もそんな感じでした。トイレに行った父が。突然体が動かないと、廊下に座り
込んだまま動けません。「大丈夫だ」と何とか立ち上がった父を説得し、病院を2カ所回り、
慢性硬膜下血腫と判明。3つ目の病院で、2回に分けて手術を行いましたが、認知症の症状
と歩くのが難しくなったまま、退院となり、要介護3の介護生活が始まりました。
父は、家に帰るなり「ここはどこだ」と言います。それでも、初めの頃はそれほど大変では
ありませんでした。本来、楽天的なところもある父は、話しも何とか通じ、聞き分けも良く、
父と同じく楽天的な私は、リハビリを頑張ることで乗り切れました。やがて認知症が進行し、
幻視、幻覚、幻聴など様々な症状が出てきました。父は、その中で精一杯生きていました。
私は正しく認識して欲しくて、あらゆる手段や言葉を使い。説得を試みました。そこには
正しい認識に固着する自分がいたのです。それは父との戦いも意味していました。
父の幻覚は、父にとっては真実なのだと、しっかり認められるまでには時間が必要でした。
恐ろしい幻覚や幻視に父は苦しみ、不穏になります。私も苦しいです。そこで、父を殿とか
◯◯さんと名字で呼ぶ事を思い付きました。お父ちゃんと呼ぶと、感情に負け、良い介護者
になるのが難しいと感じたのです。その頃になると排泄のコントロールもできなくなってき
ました。混乱する時期もありましたが、幻覚に苦しむ殿を見続けることの辛さを思えば、
便の処理は「殿のお尻を拭かせていただき恐悦至極にござりまする」などと冗談の言える程
度のことでした。ポットン便所で、畑には新聞紙がヒラヒラ舞う時代に育った私ですが、何
より大きかったのは、母が祖母の介護をするのを子供のころに見ていたことが、役立ったと
思います。それは壮絶な介護でした。褥瘡は骨にまで達する程で、脳死状態の口腔内は乾き、
岩のようでした。母は、涙を拭きながら、脱脂綿で口を湿らせていました。それでも、母は
愚痴を言うこともなく、誰も責めず、当然のように淡々と介護を続けていたのです。
それから思えば殿の介護は楽でした。そうなると、食事を摂らせることが最も大切な仕事に
なります。要介護5になると、自分では食べる事ができず。食欲もなく、食事には3時間も
かかることもあります。それでも、時折見せる笑顔に励まされて何とか介護していましたが、
やがて、笑顔もなくなり、言葉も少なく、看取りの近いことを感じるようになりました。
介護は、マニュアル通りが良い事は確かですが、肉親の場合、情がからみ、マニュアル通り
にはできないものです。自分を苦しめる肉親に対して怒りすら湧いてくるものです。誰でも
優しくしたいのに、そうできない気持に苦しみます。負の連鎖に落ち込みやすい介護です。
そんな自分の介護に合格点を出して乗り切るには、どんな介護者でありたいかを、しっかり
見つめ、覚悟することが大切です。介護を自らの問題として考え、耐えられないと思われる
ことでも、淡々と行っていることで、やがては慣れてくるものです。慣れは、介護で最も大
きな力です。楽しい時には今が全て、辛い時の今はただの状態です。被介護者は大切にされる
必要があります、介護者は必要とされることを喜びとするしかありません。別れは必ずやって
きます。その時を想像しながら、自分の介護に何とか合格点を付け、介護を全うすることが
できることを願います。それは、残された者が幸せであるために必要なことだと思うのです。

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介護の理想 - 08/05/14 11:57 (おじちゃん) 映画