介護の輪 - トピック返信
介護の福
【返信元】 介護の理想
2019年02月19日 07:44
仏教介護という言葉を見つけました。介護に仏教を生かすということです。
介護では、お釈迦様が説かれた四苦(生老病死)に向き合うことになります。
仏教の教えを介護に生かすと、介護は特別なことではなくなります。それは、
簡単に言えば、同じ四苦を背負った者と一緒に暮らすということです。
一緒に暮らすことは、得意分野で、誰かと助け合うということです。ある日、
介護について調べていると、仏説諸徳福田経というお経があると知りました。
福田とは、善き行いの種子を蒔き、功徳の収穫を得る田んばという意味で使
うようです。体の不自由な人や病人は、福を与えてくれる田んぼだという訳
です。この福を得るのも、得られないのも、田を耕す人の気持ち次第という
ことだと思いました。同じ苦を生きる者同士の共感が慈悲だと思ったのです。
認知症は、治らない病気で、人格が破壊されてしまうとも言われますが、
実際はそうではありません。認知症でも立派な人格があるし、感情だって
あります。それは理屈抜きですから、純粋で研ぎ澄まされているということ
もできます。認知症の人と暮らす場合、その人の人格や感情を尊重し、足り
ない部分を手助けすればいいのです。認知症の人も快適に暮らしたいという
意志を持っています。その意思を尊重し、介護する人の都合を押し付けない
ようにすることが大切です。これは特別なことではなく、社会でも当たり前
のことです。福田も同じで、上手に耕さないと収穫を得ることはできません。
思うように動いてくれないからと、喧嘩をしてしまってはまずいわけです。
怒りは、二次的な感情だと言われています。その底にあるのは悲しさです。
わかってもらいたいのに、わかってもらえない。自分を尊重してもらえない。
自分が粗末に扱われた。あるいは、ないがしろにされた。その悲しみが
嵩じたとき、悲しさは怒りに変わります。介護では、それが起こりやすい
ものです。何度も同じようなことがあれば、そこで沸点に達して、感情が
爆発してしまうのだと思います。私もそれを経験しました。感情としての怒
りは本物ですから、互いに怒りのエネルギーにひきずられてしまいます。
何れにしても、その底にあるのは悲しみです。自立できない大人が、子供の
ように泣いているのです。私もそうでした。私の期待に応えられず、心配ば
かりさせる父に対し、怒りの感情すら湧いてしまうのでした。冷静に対処でき
れば、悲しみは、優しさに、優しさは、幸せに変わるはずです。私の場合、
離れる時間が、それを可能にしてくれたと思います。デイやショートです。
人は、自分を強制的に変えられることに強い抵抗を感じるものです。それは
介護者も、要介護者も同じです。人への働きかけで、よく取り上げられるのが、
「北風と太陽」の喩えです。旅人に服を脱がせようとして、北風をびゅうびゅ
う吹かせると、旅人はコートのえりを押さえ、脱がせにくいけれど、太陽が
熱を送ると、ぽかぽかして、自分から服を脱ぐというあれです。認知症の親の
介護で、これが難しくなるのはなぜでしょう。我が家の場合、甘え合戦でした。
今までと違ってしまった親に対して、今までの経験だけで対応していたのが、
私の間違いの元でした。私は、デイに通っている近所のおばあちゃんの力を
借り、父をデイに行かせることにも成功しました。後はデイの職員がうまく
やってくれました。一人では難しくても、助けを得ることで解決することもあ
ります。思いつめると柔軟性もなくなります。私は、近所の介護者サロンにも
出かけました。助け合えるのが人間の特徴です。助け合うことで、私たちは
多くの福を受け取れるわけです。それが心の平和を得る力になりました。

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介護の理想 - 08/05/14 11:57 (おじちゃん) 映画