介護の輪 - トピック返信
要介護者にも張り合いを
【返信元】 介護の理想
2019年02月23日 08:54
高齢になると体力や気力が衰え、徐々に活動範囲も狭くなります。まして要介護
状態になってしまった場合、毎日をどんな心構えで過ごしたら良いのでしょうか。
生き甲斐というと、少しオーバーですが、毎日に張り合いが必要なのは確かです。
父の介護者である私も、仕事を辞め、多くの時間を介護に使うようになりました。
介護者も社会との関わり合いが薄れることで、身体的にも精神的にも、前向きな
気持ちが失われがちになります。私の場合、特別な生き甲斐のようなものはなく、
介護で、何かが失われてたということにはありませんでした。写真や水切り遊びと
いう趣味はありましたが、人生を賭けるというようなものではなく、デイやショー
トを使い、制限はありましたが、何とか工夫して続けることはできました。
それより問題なのは、要介護状態の父の張合いです。私よりかなり厳しい状況です。
初めの頃は、近所の友達も遊びに来てくれましたし、リハビリと称して、自分から
遊びにも行けたし、近所のコンビニまで買い物にも行けました。もちろん、私が
付き添いましたが、病状の改善という目標が、父と私を支えているのでした。
実際に、少しづつ歩ける距離も伸び、頭もしっかりしてきたのです。要介護2を目
指して頑張りました。テレビや食事を楽しむこともできていました。この頃の私も
父も、まだ、介護の本当の苦しさは知りませんでした。
結局、要介護2になることはなく、圧迫骨折や肺炎を繰り返すようになると、歩け
なくなり、要介護4になってしまいました。それでも、リハビリの散歩は、二人に
とって希望の光でした。父の仕事は、その姿を通し、子供達に老いを見せることや
他人の優しさを引き出すことになりました。私は、その手助けをすることに意味を
見い出していました。何度も歩けなくなりましたが、父の散歩復帰は、近所の高齢
者に希望を与えるという仕事でもありました。デイでもイライラを職員に向ける時
期もありましたが、それでも、若い者に仕事を与えるという役割はあったのです。
そうでも思はないと、日々の生活に意味がなくなるわけです。あくまで前向きです。
幻覚が増え、体力が落ち、散歩を諦めるしかなくなり、要介護5になると、食事も
排泄も、一人ではできなくなります。それでも、父には生きている意味が必要だと
感じるのでした。父の最後の仕事は、私を一人ぼっちにしないため、長生きをする
ことになりました。「俺は寂しがりだから、殿に長生きしてもらわないと困るよ」
父は「しょうがねえな、そんじゃ長生きしねえとな」そんな会話を交わしながら、
私は、父の介護を、生前供養だと思うようになりました。
父には、どんなに小さくても、心のどこかに希望の灯りを、ともし続けて欲しいと
願うのでした。介護は、本当に切ないものですね。

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介護の理想 - 08/05/14 11:57 (おじちゃん) 映画