介護の輪の「介護の理想」
「介護の理想」の書込一覧です。
介護の理想
【閲覧数】104,060
2008年05月14日 11:57
人が壊れてゆくのを見るのは辛いです。
まして、肉親ですからなおさらです。我が身の未来を見るようです。
殿も最近は「ちくしょう」とか「アーアーー」とか辛そうな表情を
見せることが多くなりました。おじちゃんも辛いです。
イライラするのは、何の役にも立たないとはわかっていても、
殿もおじちゃんも、ときどきイライラのエネルギーが湧いてきます。
悟った人は、イライラすることはないのでしょうか。
介護には、人間の様々な矛盾が凝縮しているように感じます。
人類が、介護の理想を実現できるようなら、すべての矛盾は
越えてゆけるような気もしますが、難しそうです。
理想から見れば、すべての人は認知症のようなものかも知れません。
今朝も失敗しました。気を取り直し、何度でもやり直しましょう。
どんな時も、うひょひょと笑いながら、全力で今を楽しみたいです。

書き込み数は614件です。 [ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ... 31 ]
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介護は、辛いだけじゃなかった
【返信元】 介護の理想
2019年03月23日 22:49
介護は、確かに辛いことも多いですが、良いこともありました。
介護職を天職と思い、日々充実した仕事をしている方もいます。
家族介護者の中にも、介護に充実感を感じながら、穏やかな介
護を続けている方もいます。それは、私には希望の光でした。
家族にとって、介護は、人生の途上でやってくる新しい経験です。
一人で担う介護は孤独で苦しくなりがちです。様々なマイナスの
感情は、介護経験のない人に理解してもらうのは難しいものです。
そんな時は、介護の辛さだけに目が向き、介護の素晴らしさを見
落としてしまいます。介護が、本当に人生にとってマイナスだけ
だとしたら、多くの人たちが介護の仕事に就いたり、家族介護を
続けることは困難なはずです。介護は辛いだけではなさそうです。
人は、事実に対してではなく、自分のイメージで反応してしまい
ます。イメージが変われば、反応も変わるということです。
私の父は認知症になりました。親風を吹かせ、権威の象徴のよう
な面もある父でしたが、私のことをお父ちゃんだと間違うほど、
私を信じるようになりました。それは悲しいことでもありますが、
その新しい父との関係は、私には心地よい面もありました。父に
とっても、その方が都合が良かったのだと思います。それが私た
ち親子の大きな転機になった気がします。父のイメージが可愛く
なったのです。介護の状況は、目標や工夫次第で変わるものです。
私はその工夫を楽しもうと思いました。
介護者が、疲れたり、辛くなった時、心のケアが必要です。それ
は、ケアマネさん、デイ、ショート、介護者の集まり、安心介護
などのSNSが助けてくれました。それが私の視野を広げ、客観性
を維持し、何とか介護を続けることができたような気がします。
一人の人間は弱くても、助け合うことで強く賢くなれるのも確か
です。介護者の事情は様々ですが、必ず誰かに助けて貰っている
はずです。そうして、誰もが少しづつ介護者になってゆけるのだ
と思います。今、つらい状況だとしても、それは受け取り方次第
で変わります。幸不幸は、条件だけでなく、心のあり方が重要だ
と気付きました。介護に限らず、誰もがそうして生きてきたわけ
です。必ず状況は変わると信じ、少しでも幸せな介護をしたいと
思って頑張ってきました。介護経験から得られたものは、老後を
生きる私にとって、とても大きなものだった気がします。
実際は、その時になってみないとわかりませんけどね。おほほ
介護における天使と悪魔
【返信元】 介護の理想
2019年02月27日 17:08
誰の心にも、天使と悪魔が住んでいます。特に身内の介護をしている人には、
実感できる感情かと思います。介護という仕事は、私たちを「天使」にも、
「悪魔」にもしてしまいます。それを分けるのは、一人一人の倫理感という
よりも、余裕があれば天使に近づき、余裕がなければ、少しづつ悪魔に近づ
いてしまうという方が確かなような気がします。介護には助けが必要です。
結局、虐待防止の鍵は、日々の工夫以外にはないようです。高い専門性があっ
ても、優しさがあっても、本人が嫌がることを言ったり、するしかないとい
う場面があり、それが、いつの間にか虐待になってしまう面もあるわけです。
特に家族介護では、毎日の積み重ねが、互いの甘えや、過去の習慣で、冷静
な判断力を失い、虐待につながると私も実感しました。この両極端は、微妙
ですが、実際には、そのバランスが介護の現場を支えることになるわけです。
介護は、中途半端な意志では務まらない仕事なのかもしれませんね。
この辺りが、介護経験のない人には、わかりにくいところかも知れません。
普段はとても優しい人でも、悪魔が取りつきやすいものです。言ってはいけ
ない言葉も、あんがい簡単に出てしまうものです。私は、何とか天使でいた
いと思いました。その方が幸せな気持ちに近いからです。
介護施設も、昔から思えば、理想を忘れない勇気ある人々によって、随分と
改善されてきたという話を聞きました。私たち家族介護者も、そんな人たち
のお陰で選択肢も増え、随分と変わっていると思います。理想を捨てずに、
工夫しながら、何とか踏ん張ってゆければ、いつしかそれが慣れにつながり
ます。何とかなる位の楽天的な気持ちも大切なのかも知れませんね。
感情は、現実を超える野生的なパワーがあります。それは要介護者も同じで
す。天使と悪魔との付き合いはとても難しいですが、認知症に付き合うには、
介護者が冷静に対処するしかないわけです。介護は尊い仕事です。
高齢者の幸せのかたち
【返信元】 介護の理想
2019年02月25日 07:53
「敬老の日」の趣旨は、多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う
ことです。「老人の日」は、国民の間に老人の福祉についての関心と理解を深め、老
人に対し、自らの生活の向上に努める意欲を促すことが目的のようです。
「敬老の日」は「長生き万歳!」といった、めでたい感じですが、「老人の日」は、
老人を社会福祉の問題として考え、老人自身にも自助努力を求めるということもある
ような気がします。超高齢化社会の難しさを考えるのが、老人の日かも知れませんね。
健康年齢を過ぎ、要介護状態の老人が長生きする時代になると、長寿万歳と、めでた
いだけでは済まない面もあります。それが若い世代の介護問題ということになります。
一方、高齢者の方から見れば、要介護の時間が長くなるほど、早く死んでしまいたい
という気持ちになることもあり得ます。それでは、幸せな老人とは言えないわけです。
今の時代、高齢者が幸せである条件とは、どんなものでしょうか。とりあえず、経済
的に自立している必要はあります。でも、経済的に十分な人は少ないのが現実です。
今までの幸せな老人像は、生涯現役のようなものだった気がしますが、それだけでは
済まないのが超高齢社会です。要介護ともなれば、若い時の価値観のままで、幸せに
暮らすのは難しいでしょう。過去のプライドも役には立ちません。身体的、社会的な
弱さを長く経験することになるわけです。その状態を受け入れ、幸せを感じることの
できる新たな精神的成長をする必要がありそうです。自己中心的な思考から解放され、
無理なく老いを受け入れる価値観が必要なのは、宗教的な見地からも、殿を介護した
経験からも、何となく想像できるのです。
スウェーデンの社会学者は、それを「老年的超越」と名付け、高齢者の幸福感につな
がると指摘したそうですが、わかるような気がします。確かに、そのような高齢者は
存在します。それは、生かされている感謝であり、肯定的な見方であり、楽観的な態
度であり、二元論からの脱却であり、全てを受け入れるような、宗教的な悟りです。
親風を吹かせ、介護拒否もあった殿が、変わり始めたのは、そんな感じだったのです。
私は、そんな殿に感謝しました。「こんなに良く倅の言うことを聞いてくれる親は少
ないよ」そう言われれば、殿も頑張らないわけにはゆきません。それを繰り返しなが
ら、良い流れができた気がします。ついに私は、殿にお父ちゃんとも呼ばれました。
幸福感の低下が見られないような高齢者が存在することは、私には、大きな救いです。
今、介護者である人たちも、やがて高齢者になるわけです。幸福感を維持できる高齢
者は、それを受け止められる新しい強さを身に付けなければなりません。殿は、私に
身を持って高齢者の生き方のヒント見せてくれたような気がします。それが「老年的
超越」ということなのかも知れません。おほほ 
失ってからわかること
【返信元】 介護の理想
2019年02月23日 14:37
介護に苦慮していた私でしたが、殿を失った時の喪失感は思っていた以上でした。
難しい介護でしたが、そのことに、自分自身の存在意義も感じていたのです。
寝ている殿のご機嫌伺いに行くと、殿は、ベットの布団を少しめくって「入れよ」
と誘います。ずっと一緒に生きていた二人です。様々な思い出を共有しています。
私は、殿の布団に潜り込み、昔飼っていたペットのこと。初めてテレビを買った
時こと。母や祖父の思い出など、話は尽きません。近所の人の失敗談、軍隊の話、
兄弟の話など、おバカな話はいくらでもありました。
ジジイが二人、狭いベットの中で笑い合います。「こんなところを近所の人が
見たら気持ち悪いだろうね」と言う私に「そうだな、うひょひょ」と殿が笑います。
私は、植木の手入れや畑仕事をした結果を、殿に見せるのが好きでした。殿は私の
頭を撫で「エライエライ」と褒めてくれるのでした。そして、私は子供に戻り、
その時だけ、殿は、お父ちゃんになります。楽しくておバカな親子の遊びでした。
殿が亡くなり、葬儀までの数日間、殿の遺体と二人だけの何ともいえない時間を
過ごしました。ドライアイスで冷やされた殿の冷たい頭を撫で、何度も何度も
お別れをしましたが、返事はありません。妻も子もいない私にとって、殿の介護は
今までにない、深い人間関係でした。殿は骨になり、残された殿の汚れたオムツや、
手垢までが愛しいものに思えてきます。子に先立たれた親の気持ちがわかるような
気がするのでした。母が亡くなった時には殿がいましたが、今、家には私一人です。
暖かい猫のおばやんを抱いて、殿の隣で眠るのでした。朝になり、朝日が部屋に
差し込んで、どんなに明るくなっても、殿は静かに横たわっているだけなのでした。
とうとう、私は親のない子になってしまったのです。どんな悲しみも、苦しさも、
永遠に続かないことは経験済みですが、私は、1週間、毎日泣いて過ごしました。
介護は、一人の人間を見送ることになる切ない仕事です。何気ない日常がどんなに
大切だったのか、改めて感じるのでした。生前供養という言葉を頼りにしてきた私
ですが、やはり、なぜ、あの時もっと優しくできなかったのかという悔いは残ります。
それでも1年も過ぎると、仏壇に線香をあげるのを忘れてしまうことも出てきます。
「殿、申し訳ごさりませぬ」後は、殿に負けない可愛い爺さんになれるよう、修行
する所存でござりますので、何とぞ、お導きをお願い申し上げます。おほほ 
要介護者にも張り合いを
【返信元】 介護の理想
2019年02月23日 08:54
高齢になると体力や気力が衰え、徐々に活動範囲も狭くなります。まして要介護
状態になってしまった場合、毎日をどんな心構えで過ごしたら良いのでしょうか。
生き甲斐というと、少しオーバーですが、毎日に張り合いが必要なのは確かです。
父の介護者である私も、仕事を辞め、多くの時間を介護に使うようになりました。
介護者も社会との関わり合いが薄れることで、身体的にも精神的にも、前向きな
気持ちが失われがちになります。私の場合、特別な生き甲斐のようなものはなく、
介護で、何かが失われてたということにはありませんでした。写真や水切り遊びと
いう趣味はありましたが、人生を賭けるというようなものではなく、デイやショー
トを使い、制限はありましたが、何とか工夫して続けることはできました。
それより問題なのは、要介護状態の父の張合いです。私よりかなり厳しい状況です。
初めの頃は、近所の友達も遊びに来てくれましたし、リハビリと称して、自分から
遊びにも行けたし、近所のコンビニまで買い物にも行けました。もちろん、私が
付き添いましたが、病状の改善という目標が、父と私を支えているのでした。
実際に、少しづつ歩ける距離も伸び、頭もしっかりしてきたのです。要介護2を目
指して頑張りました。テレビや食事を楽しむこともできていました。この頃の私も
父も、まだ、介護の本当の苦しさは知りませんでした。
結局、要介護2になることはなく、圧迫骨折や肺炎を繰り返すようになると、歩け
なくなり、要介護4になってしまいました。それでも、リハビリの散歩は、二人に
とって希望の光でした。父の仕事は、その姿を通し、子供達に老いを見せることや
他人の優しさを引き出すことになりました。私は、その手助けをすることに意味を
見い出していました。何度も歩けなくなりましたが、父の散歩復帰は、近所の高齢
者に希望を与えるという仕事でもありました。デイでもイライラを職員に向ける時
期もありましたが、それでも、若い者に仕事を与えるという役割はあったのです。
そうでも思はないと、日々の生活に意味がなくなるわけです。あくまで前向きです。
幻覚が増え、体力が落ち、散歩を諦めるしかなくなり、要介護5になると、食事も
排泄も、一人ではできなくなります。それでも、父には生きている意味が必要だと
感じるのでした。父の最後の仕事は、私を一人ぼっちにしないため、長生きをする
ことになりました。「俺は寂しがりだから、殿に長生きしてもらわないと困るよ」
父は「しょうがねえな、そんじゃ長生きしねえとな」そんな会話を交わしながら、
私は、父の介護を、生前供養だと思うようになりました。
父には、どんなに小さくても、心のどこかに希望の灯りを、ともし続けて欲しいと
願うのでした。介護は、本当に切ないものですね。
介護の福
【返信元】 介護の理想
2019年02月19日 07:44
仏教介護という言葉を見つけました。介護に仏教を生かすということです。
介護では、お釈迦様が説かれた四苦(生老病死)に向き合うことになります。
仏教の教えを介護に生かすと、介護は特別なことではなくなります。それは、
簡単に言えば、同じ四苦を背負った者と一緒に暮らすということです。
一緒に暮らすことは、得意分野で、誰かと助け合うということです。ある日、
介護について調べていると、仏説諸徳福田経というお経があると知りました。
福田とは、善き行いの種子を蒔き、功徳の収穫を得る田んばという意味で使
うようです。体の不自由な人や病人は、福を与えてくれる田んぼだという訳
です。この福を得るのも、得られないのも、田を耕す人の気持ち次第という
ことだと思いました。同じ苦を生きる者同士の共感が慈悲だと思ったのです。
認知症は、治らない病気で、人格が破壊されてしまうとも言われますが、
実際はそうではありません。認知症でも立派な人格があるし、感情だって
あります。それは理屈抜きですから、純粋で研ぎ澄まされているということ
もできます。認知症の人と暮らす場合、その人の人格や感情を尊重し、足り
ない部分を手助けすればいいのです。認知症の人も快適に暮らしたいという
意志を持っています。その意思を尊重し、介護する人の都合を押し付けない
ようにすることが大切です。これは特別なことではなく、社会でも当たり前
のことです。福田も同じで、上手に耕さないと収穫を得ることはできません。
思うように動いてくれないからと、喧嘩をしてしまってはまずいわけです。
怒りは、二次的な感情だと言われています。その底にあるのは悲しさです。
わかってもらいたいのに、わかってもらえない。自分を尊重してもらえない。
自分が粗末に扱われた。あるいは、ないがしろにされた。その悲しみが
嵩じたとき、悲しさは怒りに変わります。介護では、それが起こりやすい
ものです。何度も同じようなことがあれば、そこで沸点に達して、感情が
爆発してしまうのだと思います。私もそれを経験しました。感情としての怒
りは本物ですから、互いに怒りのエネルギーにひきずられてしまいます。
何れにしても、その底にあるのは悲しみです。自立できない大人が、子供の
ように泣いているのです。私もそうでした。私の期待に応えられず、心配ば
かりさせる父に対し、怒りの感情すら湧いてしまうのでした。冷静に対処でき
れば、悲しみは、優しさに、優しさは、幸せに変わるはずです。私の場合、
離れる時間が、それを可能にしてくれたと思います。デイやショートです。
人は、自分を強制的に変えられることに強い抵抗を感じるものです。それは
介護者も、要介護者も同じです。人への働きかけで、よく取り上げられるのが、
「北風と太陽」の喩えです。旅人に服を脱がせようとして、北風をびゅうびゅ
う吹かせると、旅人はコートのえりを押さえ、脱がせにくいけれど、太陽が
熱を送ると、ぽかぽかして、自分から服を脱ぐというあれです。認知症の親の
介護で、これが難しくなるのはなぜでしょう。我が家の場合、甘え合戦でした。
今までと違ってしまった親に対して、今までの経験だけで対応していたのが、
私の間違いの元でした。私は、デイに通っている近所のおばあちゃんの力を
借り、父をデイに行かせることにも成功しました。後はデイの職員がうまく
やってくれました。一人では難しくても、助けを得ることで解決することもあ
ります。思いつめると柔軟性もなくなります。私は、近所の介護者サロンにも
出かけました。助け合えるのが人間の特徴です。助け合うことで、私たちは
多くの福を受け取れるわけです。それが心の平和を得る力になりました。
認知症の心を聴く
【返信元】 介護の理想
2019年02月18日 07:53
自分の思いを、誰にも受け止めてもらえないことほど、悲しいことはありません。
それは、認知症の父も同じだと感じました。でも、今までと違う表現の多くなった
父の話を聴くのは難しいと思いました。そこには、自分の判断が入ってしまうから
です。共感には、自分の思いも入っています。聴くことは、神様のような仕事です。
目を合わせ、ジャッジをせず、全身まっさらの状態で聴いてみるしかないのです。
何かに対して、怒ったり、不満を感じるときなど、ほとんどの場合、自分の立場
からしかものごとを見ることができていません。「普通」「常識」「みんな」と
いう言葉が、自分の中に浮かんだら、自分の思考を疑ってみる必要があるわけです。
もしかして、自分を正当化しようとしていないか、あるいは、誰かを批判しようと
していないか。怒りや不満に焦点を合わせると、相手の嫌な面だけが見えてきます。
悲しみや寂しさに焦点を合わせると、自分の心の痛みが見えます。それらが満たさ
れない苦しみが、怒りや不満に変わるような気がします。怒りを手放せれば楽には
なれますが、心に湧く感情は、その人の心の受け皿によって決まってしまいます。
疑い深い人にとっては、世界は疑いに満ちていますし、何とかなると思っている
人にとっては、世界は、ノーテンキにできています。怒りのスイッチが入りやすく
なっている人は、目の前の問題が解決しても、すぐに、次の怒りの対象を見つけて
しまいます。心の習慣を変えるしかないのですが。それは、難しいことです。楽し
いこと、幸せなことに目を向けるしかないのです。自分の人生を満たすのは、自分
自身なのです。でも、何もかもが満たされる状況はないと思います。自分に与えら
れているものに心を向けるしかなさそうです。余裕がなければ人の話は聴けません。
認知症が進むたびに、新しい親子関係を作り続けてゆくのが、認知症の介護かも
知れませんね。すぐにはできなくても、気持ちの持ち方で、少しづつできるように
なると信じ、繰り返し新しい介護者に生まれ変わるしかなさそうです。父も自分が
私に迷惑を掛けていることはわかっていました。初めの頃は、親風を吹かせて乗り
切ろうとしていた面がありましたが、途中から感謝の言葉を言うようになりました。
何が何だかわからないという頭で、精一杯、私に愛されようとしているのが見えます。
父に必要なのは、私の無償の愛なのです。それを信じることだけが、安心に繋がる
わけです。「悪いな」と言う父に掛ける言葉は一つです。「大好きなお父ちゃんだ
から当たり前ですよ」これが、最良の言葉なのは、自分が何の役にも立たず、ただ
介護されるだけになってしまった時のことを想像すれば。すぐにわかるのでした。
添い寝、スキンシップ、言葉。あらゆる手段を使って安心してもらう。これが通用
するようになれば、少しずつでも幸せな介護に近づいてゆく可能性があるわけです。
共に暮らした長い時間と、親子という絆を上手に使えれば、家族介護は有利です。
介護者としての意思を持ち、タイミングを見計らうことがコツだと思いました。
介護を振り返って思うこと
【返信元】 介護の理想
2019年02月16日 20:19
人生には様々なことが起こります。思いもしなかった介護が、いきなり現実となることも
あります。私もそんな感じでした。トイレに行った父が。突然体が動かないと、廊下に座り
込んだまま動けません。「大丈夫だ」と何とか立ち上がった父を説得し、病院を2カ所回り、
慢性硬膜下血腫と判明。3つ目の病院で、2回に分けて手術を行いましたが、認知症の症状
と歩くのが難しくなったまま退院となり、要介護3の介護生活が始まりました。
父は、家に帰るなり「ここはどこだ」と言います。それでも、初めの頃はそれほど大変では
ありませんでした。本来、楽天的なところもある父は、話しも何とか通じ、聞き分けも良く、
父と同じく楽天的な私は、リハビリを頑張ることで乗り切れました。やがて認知症が進行し、
幻視、幻覚、幻聴など様々な症状が出てきました。父は、その中で精一杯生きていました。
私は正しく認識して欲しくて、あらゆる手段や言葉を使い。説得を試みました。そこには
正しい認識に固着する自分がいたのです。それは父との戦いを意味していました。最も辛い
時期でした。私は父を助けられず、自分の方が助けてもらう必要を感じました。実際には
ケアマネさん、安心介護、介護者サロンに助けられたと思います。孤独は介護者の大敵です。
介護者も助けを求める必要があります。多くの言葉と共感が、私の冷静さを取り戻してくれ
るのでした。デイサービスなど介護保険も大きな助けになります。一人では難しい介護です。
父の幻覚は、父にとっては真実なのだと、しっかり認められるまでには時間が必要でした。
恐ろしい幻覚や幻視に父は苦しみ、不穏になります。私も苦しいです。そこで、父を殿とか
◯◯さんと名字で呼ぶ事を思い付きました。お父ちゃんと呼ぶと、感情に負け、良い介護者
になるのが難しいと感じたのです。介護も後半には、排泄のコントロールもできなくなって
きました。混乱する時期もありましたが、幻覚に苦しむ殿を見続けることの辛さを思えば、
便の処理は「殿のお尻を拭かせていただき恐悦至極にござりまする」などと冗談の言える程
度のことでした。ポットン便所で、畑には新聞紙がヒラヒラ舞う時代に育った私ですが、何
より大きかったのは、母が祖母の介護をするのを子供のころに見ていたことが、役立ったと
思います。それは壮絶な介護でした。褥瘡は骨にまで達する程で、脳死状態の口腔内は乾き、
岩のようでした。母は、涙を拭きながら、脱脂綿で口を湿らせていました。それでも、母は
愚痴を言うこともなく、誰も責めず、当然のように淡々と義母の介護を続けていたのです。
それから思えば殿の介護は楽でした。後半になると、食事を摂らせることが最も大切な仕事に
なります。要介護5になると、自分では食べる事ができず。食欲もなく、食事には3時間も
かかることもあります。それでも、時折見せる笑顔に励まされて何とか介護していましたが、
やがて、笑顔もなくなり、言葉も少なく、看取りの近いことを感じるようになりました。
ここで助けてくれたのが、父の主治医でした。何もできない私を安心させてくれました。
介護は、マニュアル通りが良い事は確かですが、肉親の場合、情がからみ、マニュアル通り
にはできないものです。自分を苦しめる肉親に対して怒りすら湧いてくるものです。誰でも
優しくしたいのに、そうできない気持に苦しみます。負の連鎖に落ち込みやすい介護です。
そんな自分の介護に合格点を出して乗り切るには、どんな介護者でありたいかを、しっかり
見つめ、覚悟することが大切です。介護を自らの問題として考え、耐えられないと思われる
ことでも、淡々と行っていることで、やがては慣れてくるものです。慣れは、介護で最も大
きな力です。楽しい時には今が全て、辛い時の今はただの状態です。被介護者は大切にされる
必要があります。介護者は必要とされることを喜びとするしかありません。別れは必ずやって
きます。その時を想像しながら、多くの介護者が、自分の介護に何とか合格点を付け、介護を
全うすることができることを願います。冷静に考えれば方法はあります。それは、残された
者が幸せであるために必要なことだと思うのです。「人間とは何か」介護から学べることは、
とても多いと思います。それは、老後を生きる自分自身のための修行だった気がします。
高齢者の悟り
【返信元】 介護の理想
2018年07月20日 09:08
人は、子供時代から、希望を持って立派な人になるよう教わります。
誰かに認めてもらうのが大切ということでしょう。私は今、70歳で、
体力も落ち、今までになかった喪失体験を重ねています。そして今、
定期的に集会所に集り、ご近所の高齢者と遊んでいます。それは、
いきいきサロンと言います。そこでは、ボケを恐れる傾向を感じます。
惚けない小唄をみんなで歌い、惚け防止体操などをします。私はそれに
違和感を感じています。認知症の父を介護したからです。惚けを恐れる
ことが、差別や高齢者の悲観につながることを恐れます。
父を優しく介護するには、今までのような比較の中の価値観では難しい
わけです。私は、父との縁や、つながりが大切だと考えました。
人の大好きな愛情は、比較や勝利ではないと感じるのです。
私は、堂々と惚けたいと思います。たとえ惚けたとしても、父は修行
していました。介護者が想像できないような喪失体験の中で、父は、
現実を受け入れ、老年的超越をしたと思いたいのです。その試練が
悟りに至る道なのかも知れません。老人の心理などは、介護の研修で
教わるようですが、私はそれを、この世の欲を超越した、超越高齢者と
呼びたいと思います。超越という言葉には、高齢者には希望があり、
若者の高齢者に対する尊敬の気持も含まれている気がするのです。
災害時の介護
【返信元】 介護の理想
2016年04月22日 11:19
熊本の震災ニュースが、毎日放送されています。
介護もそうですが、災害も経験しないとわからない面が
あると思います。1週間過ぎ、介護の問題が取り上げられて
きました。災害がなくても、介護は大変な面があります。
避難生活で、認知症も進むでしょうし、移動トイレも和式が
多いようです。オムツはどこで交換しているのでしょうか?。
また、デイなどの施設や職員も被災しています。
要介護者は最も弱い立場です。介護者のご苦労が想像できます。
余裕のない中での介護。どんなに大変でしょう。
高齢者のプライド
【返信元】 介護の理想
2016年03月13日 07:59
高齢者のプライドの問題は、とても大きな問題だと思います。
当地では20年程前までは、葬儀を家で行っていました。殿は良く近所の
葬儀委員長をしていました。母が亡くなった時は、近所の人が委員長を
しましたが、葬儀の段取りがうまくゆかず、殿に聞きいてみました。殿は、
「俺だって全て知ってるわけじゃない、その失敗を引き受けるのが
年寄りの役目だ。俺だって失敗はしてきた」と言いました。私は心から
「なるほど」と思いました。皆が良かれと思ってやることで、ほとんどの
トラブルは生まれます。殿は失敗も覚悟してお役目を引き受けていたのです。
自分のおバカを許すことが出来なければ逃げ出したくなる仕事です。
殿は、たとえ失敗しても、自分がやるべき仕事だと思っていたようです。
それが殿のプライドだったと思います。私も介護からは逃げませんでした。
殿は認知症になる前、言い訳はしませんでした。でも認知症になってから
子供のような言い訳もしました。そんな殿を粗末にはできません。
命に限らず、全ては変化し続けます。永遠の実体はないということでしょう。
あのピラミッドさえ、計算によれば2000万年で消えるそうです。
人は亡くなっても、物質としては、変化して存在し続けますが、人の中心と
思われている精神は残りません。私達は一瞬だけの存在です。
それに執着することは、苦と厄をもたらします。私はそれをあっさり納得
できます。何かを受け取る事も、想う気持も。行動も、認識も、結局は
実体ではありません。それは、恐怖にも実体はないということです。
そう思う事で、むやみに煩悩の火を燃え上がらせることなく、冷静に
今更バカは怖くねえと言えます。これは、苦しみから自由になる一つの方法
かも知れません。ケ・セラ・セラ。儚い者同士、仲良く気持良く暮らしたい
ものです。そう思えば、介護もそれほど苦しくはなりませんね。おほほ
Re: 笑顔と嘲笑
【返信元】 笑顔と嘲笑
2016年02月12日 00:11
職員間でも、不快に感じるときがありました。

この問題、とっても難しいです。

笑顔と嘲笑の線引き・・・立場によっても変わってくるでしょう。

嘲笑のつもりがなくても、ご家族からは、そう取られてしまう事もあるかもしれないし。

とっても、考えさせられました。
笑顔と嘲笑
【返信元】 殿のプライバシー
2016年02月11日 17:35
誰の心にも、天使も悪魔も住んでいます。
介護職の方の中にも、認知症の殿に対する態度に
私が不快感を感じてしまったことが何度かありました。
微妙なところですが、笑顔と嘲笑は別物です。
対象者の元気な頃を知らず、いきなりお世話をする
ことになるのですから、無理もない面はあると思い
ますが、家族にそんなことを感じさせてしまうことも
あるのです。理想の介護は本当に難しいと思います。
殿のプライバシー
【返信元】 いきいきサロン
2015年11月20日 18:27
殿が認知症になっても、私はそれを隠そうとは思いませんでした。
殿も認知症の自分を隠しませんでした。オムツの話しを殿の前で
誰かと話していても嫌な顔をしないので、殿に聞いてみたことが
あります。殿は「そりゃーいい感じはしねえよ」と言いました。
それはそうでしょうが、「今更バカは怖くねえ」とどこかで覚悟
できていたのだと思います。
殿は散歩を日課にしていました。私は、殿が休む為の椅子を持って
一緒に歩きます、近所の人も普通に接してくれました。弟の家族も
交えて7人連れで散歩することもありました。すれ違う子どもが
珍しい物を見るように眺めます。殿は目が悪いので、すれ違う人を
ジッと見ますから知り合いは殿に挨拶します。そして、親孝行だと
倅たちを誉めてくれます。殿は嬉しいようでした。同じく認知症の
お婆ちゃんとは、椅子と手押し車で並んで座り、同じ話しを何度も
楽しみます。私も調子を合わせます。そうして殿は、プライドや
プライバシーをあまり気にしないようになりました。認知が進ん
だのかも知れませんが、それだけでなく、それを自分の仕事だと
思っていた時期もありました。それが介護を楽にしてくれました。
難しい面もありますが、妙なプライドやプライバシーは捨てられれば
その方が楽なのは確かです。難しいとは思いますが、堂々と認知症を
生きられる社会であって欲しいと願います。
いきいきサロン
【返信元】 介護の現状と未来
2015年10月08日 23:38
当地では、いきいきサロンという地域の集会を1年以上続けています。
毎回30名程のお年寄りが集まります。一緒に歌を歌ったり、奇術や楽器の
演奏などをしてくれるボランティアにお願いしたお楽しみもありますが、
ご近所さんとのおしゃべりがメインの集会です。私はそこでボランティアを
しています。日本中でそんな取り組みを始めているようです。
そこには様々な方が見えます。地域包括、リハビリテーションセンター、
研修の学生さんも来ます。私達は歓迎し、いつも何かを話していただきます。
高齢者の栄養、運動、唾液腺マッサージなどです。そうすることで
地域包括センターや、介護施設への妙な抵抗が少なくなってくるのを感じます。
いきいきサロンのような取り組みは有効だと感じています。
介護の現状と未来
【返信元】 社会的介護
2015年04月09日 08:00
介護の現実を知る程に、絶望的な気持になることがあります。
介護される高齢者が不穏になるには様々な訳があるでしょう。
家族の気持もわかります。介護保険や施設の事情もあります。
現実を知り、介護職から離れる有資格者も少なくありません。
本音と立て前は昔からあることですが、絶望する要素が今の
介護には多いように思います。その中で真摯に頑張っている
人がいることは知っていますが、目をつむるしかない状況も
数知れません。今も、多くの方が介護で苦しんでいます。
今、介護のない方も当時者になる可能性は高くなっています。
どんな立派な人も、いつかは高齢者。他人事ではないのです。 
社会的介護
【返信元】 介護を振り返って
2015年04月06日 11:56
認知症の介護は、極限状態をもたらす場合もあり、自分の闇と向き合うことも
あります。私は介護者に住む鬼の正体をずっと考えていました。うまい答えは
見つかりませんでしたが、鬼を禁止されることで抑圧された鬼は、コップの水が
溢れ出るように、何倍にもなって爆発するのが、介護の鬼の正体かも知れません。
私たちの世代は、優しくあれと教わっています。でも、今の社会は優しさが減少
しているように感じます。今の若者たちには、自己責任、効率、勝利、自己実現
など、個人的価値が過度に伝わり、余裕が少なく、恐怖を感じながら育つような
面もあるように感じます。知性は、殺人や破壊、犯罪にも使われた歴史があります。
自分の自身のプライドから、歪んだ正義が生まれ、それが悪人を作り、自分自身を
価値ある者にしたいという欲望から、人の繋がりを弱くしている気がするのです。
昔は介護と言う言葉もなく、当然のように家で看取りました。子どもたちは
それを見て育ちました。家族や地域が世界の中心で、鬼の出番も少ないものでした。
自分だけを見つめる個人主義に安らぐ場所は少なそうです。勝利は敗者も作ります。
敗者の人生を教える場所は少なく、嫉妬や卑屈が、鬼の出番を増やしているように
感じるのです。鬼を小出しにするより、天使を味方にする方が良さそうですが、
その機会も少ないと感じます。社会的介護という言葉の別の意味が気になります。
介護を振り返って
【返信元】 介護の理想
2015年01月16日 14:58
人生には様々なことが起こります。思いもしなかった介護が、いきなり現実となることも
あります。私もそんな感じでした。トイレに行った父が。突然体が動かないと、廊下に座り
込んだまま動けません。「大丈夫だ」と何とか立ち上がった父を説得し、病院を2カ所回り、
慢性硬膜下血腫と判明。3つ目の病院で、2回に分けて手術を行いましたが、認知症の症状
と歩くのが難しくなったまま、退院となり、要介護3の介護生活が始まりました。
父は、家に帰るなり「ここはどこだ」と言います。それでも、初めの頃はそれほど大変では
ありませんでした。本来、楽天的なところもある父は、話しも何とか通じ、聞き分けも良く、
父と同じく楽天的な私は、リハビリを頑張ることで乗り切れました。やがて認知症が進行し、
幻視、幻覚、幻聴など様々な症状が出てきました。父は、その中で精一杯生きていました。
私は正しく認識して欲しくて、あらゆる手段や言葉を使い。説得を試みました。そこには
正しい認識に固着する自分がいたのです。それは父との戦いも意味していました。
父の幻覚は、父にとっては真実なのだと、しっかり認められるまでには時間が必要でした。
恐ろしい幻覚や幻視に父は苦しみ、不穏になります。私も苦しいです。そこで、父を殿とか
◯◯さんと名字で呼ぶ事を思い付きました。お父ちゃんと呼ぶと、感情に負け、良い介護者
になるのが難しいと感じたのです。その頃になると排泄のコントロールもできなくなってき
ました。混乱する時期もありましたが、幻覚に苦しむ殿を見続けることの辛さを思えば、
便の処理は「殿のお尻を拭かせていただき恐悦至極にござりまする」などと冗談の言える程
度のことでした。ポットン便所で、畑には新聞紙がヒラヒラ舞う時代に育った私ですが、何
より大きかったのは、母が祖母の介護をするのを子供のころに見ていたことが、役立ったと
思います。それは壮絶な介護でした。褥瘡は骨にまで達する程で、脳死状態の口腔内は乾き、
岩のようでした。母は、涙を拭きながら、脱脂綿で口を湿らせていました。それでも、母は
愚痴を言うこともなく、誰も責めず、当然のように淡々と介護を続けていたのです。
それから思えば殿の介護は楽でした。そうなると、食事を摂らせることが最も大切な仕事に
なります。要介護5になると、自分では食べる事ができず。食欲もなく、食事には3時間も
かかることもあります。それでも、時折見せる笑顔に励まされて何とか介護していましたが、
やがて、笑顔もなくなり、言葉も少なく、看取りの近いことを感じるようになりました。
介護は、マニュアル通りが良い事は確かですが、肉親の場合、情がからみ、マニュアル通り
にはできないものです。自分を苦しめる肉親に対して怒りすら湧いてくるものです。誰でも
優しくしたいのに、そうできない気持に苦しみます。負の連鎖に落ち込みやすい介護です。
そんな自分の介護に合格点を出して乗り切るには、どんな介護者でありたいかを、しっかり
見つめ、覚悟することが大切です。介護を自らの問題として考え、耐えられないと思われる
ことでも、淡々と行っていることで、やがては慣れてくるものです。慣れは、介護で最も大
きな力です。楽しい時には今が全て、辛い時の今はただの状態です。被介護者は大切にされる
必要があります、介護者は必要とされることを喜びとするしかありません。別れは必ずやって
きます。その時を想像しながら、自分の介護に何とか合格点を付け、介護を全うすることが
できることを願います。それは、残された者が幸せであるために必要なことだと思うのです。
終活
【返信元】 介護の理想
2014年11月14日 09:54
最近、終活という言葉が使われています。私のように独り身で親を見送り、
自分の老いを意識すれば、そういう言葉が大きな意味を持ってきます。
自分の人生にOKを出し、奇麗にこの世とさよならしたいのは誰も同じです。
私もそれを意識しています。
最近、墓は不要という人も増えています。誰にも迷惑をかけたくないとも
言います。当然かも知れませんが、本当に誰にも迷惑を掛けず、この世を
卒業できることはほとんどないでしょう。一人の命は結構重いと感じます。
墓は、生者と死者をつなぎ、先祖への感謝や供養の気持を形にしたものです。
おじいちゃんやおばあちゃんの墓に手を合わせながら育った子供たちは、
先祖への感謝の気持ちや、限られた命の尊さを知り、現在に感謝し、他者へ
の思いやりや、家族の絆を支える心を育てます。特に立派なことはしなくても
家族の歴史の一部として自らの存在に意味を与える根拠になることもあります。
私自身が、その家族の歴史の中に存在していることは確かなことなのです。
墓は家族の過去、現在、未来をつなぎ、地域、親戚、ひいては国や人類という
共同体を支える力も含んでいる気がします。社会や個人の平和をゆるぎない
ものにする為には、限られた命という考え方だけでは不十分なようです。
子孫に美田を残すとか、ひ孫のために木を植えるというような自制的な
生き方を支える根本には、墓もそれなりの意味を持っているように思います。
環境破壊や資源の枯渇は、行き過ぎた個人主義や、生きている時間に縛られた
考え方の結果かも知れません。根本的に墓は、死という不条理な問題に答え
らしきものを求める人の心から生まれたと思いますが、古いしきたりには
軽く見てはいけない、人が平和に生きる為に練り上げられた本質的な知恵が
含まれていると思います。介護の心の問題も墓と無縁ではないと私は感じて
います。結局、私は墓じまいをすることになりそうですが、そうなったら
あの世で先祖にたっぷり叱られそうです。せめて、生きている間はしっかり
お守りしますので、お許しを願うしかありません。おほほ
遺影
【返信元】 介護の理想
2014年11月11日 18:55
殿の一周忌が終わりました。
親のない子として早くも1年。さすがに一人暮らしにも慣れました。
お葬式や、法要の時には、普通写真を飾ります。私は趣味で写真を
撮っていましたが、殿の葬儀に良い写真を飾れませんでした。
殿が最も出来上がったと思われる写真では若すぎます。
認知症になってからのスーツの写真は本来の殿ではありません。
帽子をかぶっているのが最も殿らしいのですが、できれば帽子は
ない方が良いということで、葬儀にはスーツのものを使いました。
一周忌には帽子のものを使いましたが、ついでに撮ったもので
いまいちです。母の時は、大手術の前に万一を考えて撮った物で
まあまあの物がありました。葬儀用の写真はほとんどがピンボケの
物が多いと感じます。縁起が悪いとか言って撮らない人が多いとは
思いますが、しっかり撮影しておけば良かったと後悔しています。
元気な時に、しっかり撮影しておくことをお勧めします。
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